母は空高く

母は空高く

母の山この古い写真は60年前、母が見ていた景色。

私の母は当時は珍しく大学の山岳部に所属する”山ガール”であった。 登山用具も交通の便も悪かった当時、この厳冬期の山に登っていた母を思うと、「真似できない」とつぶやいてしまう。

30年ほど前、脳内出血後も生き延びた母は、ログ・ハウスを建ててしまい、「山小屋へ行こう」と時々、私たち子供や孫を連れて出掛けていた。 しかし、ここ10年ほどは脳障害が顕著になり、昨年秋の入院後はほとんど意思疎通ができず、完全介護の要介護5となってしまった。

「人はどんな最後を迎えたいのか?」 私と妹は 勇気のいることではあったが、自宅で介護支援や医師の訪問を受けながらの介護、救急車を呼ばない、点滴もしない、自然死・尊厳死を選択した。 退院前、母はどんどん食べれるようになり、まだ回復できるかもしれないと思っていたのに、退院1ヶ月半後、ゆっくり枯れるように、穏やかに息絶えた。

そのまま自宅で近親者のみの小さな葬儀をした。 おばあちゃんの写真を見て、孫たちも盛り上がった。 悲しいけど温かく幸せなひとときだった。

安楽死のない、医学の進んでいる日本では意思があっても簡単には死なせてもらえない。 また介護の現実は、介護する側の時間的、経済的、身体・精神的な負担を半端なく強いる。 認知症と違って動けない小さな母の世話でも、赤ん坊の数倍も大変なことであった。 たった一人に数十人もの専門家・ヘルパーが関わってようやく成立する介護だが、高齢化の日本はどうなっていくのだろう? 空恐ろしい。

 

母のようには登れないし、この真冬に写真と同じ景色を飛行機で見るには、ちょっとした揺れ!?を覚悟しなきゃいけないだろうと、ただただ眺めるだけの私である。。。   ポッポ

 

 

 

 

 

 

 

 

この記事に対するコメント


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  • 投稿者: JWAA会員2014年2月14日 22:02

    お母様は山岳部だったのですね。
    この山はどこでしょう。
    飛行機という文明の力を借りて、簡単ではないけれど山より高く飛ぶことはできますが、自分の足で踏破する方々を眼下にするのはいつも申し訳ない思いでいます。
    心よりご冥福をお祈りいたします。
    DECO

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